2008.10.27〜11.2.

10月27日(月)
夢のなかで。
新東宝(1961年につぶれた映画会社)の世界のような、
そして新東宝映画をやっている映画館のある街を
歩いていることが、よくある。けさも、
石井輝男の『黒線地帯』と『女体渦巻島』と
あと一本(奇天烈なタイトル、忘れた)
をやっている映画館の前に立っていた。
早朝割引で入りたいのだが、開館までだいぶ時間がある。
どうしようかと迷っているうちに、
なぜか東北からやってきた若者と親しくなって、
彼のセピア色の青春のなかに紛れ込み、
警察か犯罪組織かよくわからない「敵」から逃げまわっていた。

ヴィスコンティの『白夜』(1957)をDVDで。
オールセットで、いい画面を要領よく作っているが、
ドストエフスキーの原作を使っていることが活きてこない。
帰ってこない恋人を待つ女性に恋をした男の物語ということなら、
鈴木英夫監督の『二人で見る星』(1948)の方がずっとおもしろい。

去年の話題作『鉄コン筋クリート』を、ケーブルのムービープラスで。
おれの街をどうするんだとか、子どもがまじめにものを言いすぎて、
話がウルトラすぎる。
その前に、結局、わたしはアニメの見方がわかってないのかもしれない。
松本太陽の原作。実は、この原作をベースにした
瀬々敬久監督の『牝臭 とろける花芯』(1996)というピンク映画があって、
その方がずっとおもしろい。

10月28日(火)
例によって、授業四つの日。
1時限目、ゴダールの『小さな兵隊』『女と男のいる舗道』『気狂いピエロ』
『彼女について知っている二、三の事柄』を、一気にやった。
2時限目、ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』と『揺れる大地』。
後者のどこを一時停止して見せても、
名画のようになっていることにあらためて驚く。
この授業、「高校生の体験学習」ということで、
可愛い女子高校生(なぜか男子はゼロ)が6人も来てくれた。
はりきってやったのは、もちろんだ。
実は、『岡山の娘』の西脇=みづきがいちばんアピールするのは
高校生たちなのではないかという説もある。
しかし高校生たちに作品の存在を知らせる方途がわからない。
そうだ、このチャンスを逃すまいと思って、
授業のあと、女子高校生たちにしっかりと宣伝し、協力をお願いした。

3時限目、藤井貞和さんの詩を読む。
藤井さんの作品〈「『清貧譚』試論」補遺〉に出てくる
太宰治の短篇「清貧譚」を読んできてくれ
と言っておいたのに、読んできた学生は、12人中2人。
文句は言わない。
ただ、「清貧譚」の筋とおもしろさを、読んできた二人とていねいに確認した。

5時限目の「楽しい映画文化史」は、映画の誕生直前の、「動く絵」の展開。
なぜかヨーロッパにとって異郷的な名前の装置が考案されていた。
ゾーイトロープ、フェナキストスコープ、ソーマトロープ、プラクシノスコープ、
そして競走馬の分解写真を撮ったE・マイブリッジのズープラクシスコープ。
そして1888年、G・イーストマンによる
感光紙製ロール・フィルムを使ったカメラ「コダック」の登場まで。

はなまるうどん(大好き!)を食べてから、ポレポレ東中野へ。
城定秀夫監督の『デコトラ☆ギャル奈美』を見る。
『岡山の娘』のみづきは、母の残した借金に対して、自己破産の選択をするが、
奈美ちゃんは、父の残した借金を返すために必死に働くのだ。
つよい女、やさしい男(吉岡睦雄、よかった)、天使的存在、
そして最後の「奇跡的飛躍」(松江哲明)。
なんとこれはわたしの好きな映画の要素が効率よく、
グズグズしないで、そして冒険的にくりだされる快作だ。
城定監督、松江哲明さん、漫画家の花くまゆうさくさん、そして司会は
SPOTTED PRODUCTIONS の直井さんの、上映後のトーク。
それを聞きながら、
処女作『味見したい人妻たち』(2003、ピンク映画)を見て以来、
城定秀夫作品を見ることがなかった自分の不明を恥じた。
その間に、彼は製作条件の悪化するVシネマの荒野で35本も撮っていたのだ。

10月29日(水)
「映画芸術」秋季号。
表2の『岡山の娘』の広告、しっかりと目立っている。
自分のインタビュー(聞き手・金子遊)と
那須千里さんという人の『岡山の娘』評を何度も読む。
季刊誌に、タイミングよく、こういうふうに取り上げてもらえたのも、
関係者のおかげプラス『岡山の娘』はツイている、なのだ。
ほかの誌面では、古谷利裕さんの『アキレスと亀』評にとくに感心した。

夜、アヤコちゃん・コーちゃんの若いカップル、遊びに来る。
アヤコちゃんは、野口整体での知り合いだったが、
なんとこの夏、マカオから帰る途中の台北空港で、
半年のインド滞在から戻る二人と偶然に会ったのだ。
コーちゃんは『青春伝説序論』を見たという貴重な存在でもある。

10月30日(木)
木曜日の午前の授業は、二つとも同じ内容の「実践英語」。
その日のデイリーヨミウリの一面と、
マクルーハンのメディア論を読んでいる。
今日読んだマクルーハンは、
〈演習の授業よりも講義が、対話よりも本が、
「参加度」の低い、つまりクールなメディアだ〉から、
〈フロイトの言う「検閲」は、道徳的な働きであるよりも、
経験を受け入れすぎてパンクするのを避ける防御のためだ〉へと
一気に展開した。
午後、3時限目は大学院の授業。
詩と映画。それぞれの「戦後」を考えようとしている。
鮎川信夫の詩を読んだ。
わが友瀬尾育生の二十代の仕事である『鮎川信夫論』の凄さに、
いまさらながら圧倒されている。

橋本MOVIXで滝田洋二郎監督の『おくりびと』。
たぶん出来すぎといっていいくらいの脚本に、
文句なしのキャスティング。
そして滝田監督の、すきのないショットの重ね方。
安易に人を死なせている作品の作り手たちを恥じ入らせるような、
日本映画に久しぶりにあらわれた「まともな映画」である。
こういう映画が一方にあってくれたら、
安心して「こわれた映画」を作っていけるというものだ。

自主映画の拠点でもある明るい居酒屋「木乃久兵衛」で、
スイスから戻ったばかりの写真家十字和子さんと妻の三人で飲む。
途中、アラブ問題でわたしと十字さんがちょっと激論。
現地に行って見て感じてきている彼女に対して、
わたしはエドワード・サイードの受け売り。
分は悪いが、たまには、押しても倒れない人を相手に
思い切り意見を言ってみたくなる。
そのあと、「木乃久兵衛」の近くの、伝説的居酒屋「月家」に妻と二人で。
いつも国立市東で飲んでいるが、西にもいい店があるのだ。

10月31日(金)
『おくりびと』の滝田さんのショットの「つなぎ方」には酔わされたが、
主にMTVで見ているPV(プロモーション・ヴィデオ)で、
ときどきハッとするような「つなぎ方」に出会う。
最近は、マイリー・サイラスの「7 things」がおもしろい。
バンドの前で歌うマイリーの姿が、同ポジで、いろんな女の子と変わってゆく。
トッド・ソロンズの『終わらない物語』を瞬間的にやっている感じだ。

古川日出男『ボディ・アンド・ソウル』を読む。
これが小説になるのなら、この日録だって小説になる。
わたしも古川日出男のような「書く機械」になることを夢見たこともあった。
いや、いまも〈熱烈に/夢見ている〉(鮎川信夫)。

11月1日(土)
国立は、今日から天下市というお祭り。
春のサクラのころとこの時期、なにかソワソワしてしまう。
同僚でアメリカ文学者の野口肇さんと「奏」で飲む。
学生時代にバスでアメリカ中をまわった話。
野口さんの専門であるアメリカ南部の女流作家フラナリー・オコナーの話。
日本のいろんな文学者が行っているアイオワの話。
宮大工で町工場も経営していたお父さんの話。
「大学教師になったのは……」という、ここには書きにくい話。
などなど、話は尽きず、ビールをしっかりと飲んだ。

野口さんが帰ったあと、「萬笑」に遊びに行って、
まかないのハヤシライスのお相伴にあずかった。
今日の「萬笑」は、お祭り態勢というわけでもないだろうが、
アキさん、イヅミちゃん、そしてアニメをやっているゲンちゃんもいた。
それからまた「奏」に戻る。
今日の「奏」は、完全にお祭り気分。いつのまにか眠り込んでいた。

11月2日(日)
国分寺の母のところに。
庭仕事のあと、庭の写真を撮った。
国分寺から直接、富士見通りの美容室「メッセ」に
車で送ってもらって、髪をカット。
祭りでにぎわう街を、歩いて横断して帰ってきた。

見逃していた井口昇監督『片腕マシンガール』を、
送ってもらったサンプルDVDで見る。
ロドリゲスやタランティーノとは「運動」の方向がちがうと思った。
アメリカ資本ということでの企画の自由さに、堰を切ったように
出てくる井口監督のアイディアを実現しようとする
スタッフ・キャストのがんばりが伝わってくる作品だ。
最初の5分間の印象がすごい。見終わったあと、
フラナリー・オコナーの短篇「善人はなかなかいない」の最後のセリフ、
「人生に、ほんとの楽しみなんかあるものか」が頭に浮かんだ。
人をひとり殺したあとで、脱獄囚の男がそう言うのだ。