原子力・エネルギー問題での推進/反対

原子力政策に対して「反対」の意思を持つ立場として、これから技術者として世の中に出て行く大学院生への原子力・エネルギーの教育/議論の場と触れる機会があり、これまで感じてきたことの確認や新たな発見があったので、まとめます。
主に、問題に対するコミュニケーションや世論形成といった部分についての話で、原子力やそれに関わる技術/理論の話ではありません。
そこは勉強不足に加え、これまでの知識と今回入ってきた知識の齟齬が大きく、整理ができていないので書けません。
むしろそこに齟齬があることについてが最後の問題ということになると思います。

まず、自分の立ち位置の整理から…
福井県小浜市で生まれ中学1年まで過ごす。
母親の実家は敦賀原発やもんじゅから直線距離で10km以内。

・印象に残っている原子力事故
1986年4月、チェルノブイリ原発事故=小学2年生
雨が降ったらすぐにカッパを着ろと言われた。

1991年2月、美浜原発細管破断事故=小学6年生
叔父の設置しているサーベメーター計測値上昇の話をきく。

1995年12月、もんじゅナトリウム漏洩火災事故=高校1年生
岡山市内で開かれた緊急集会に参加。

・原子力政策へ反対するに至った経緯と原点
両親・叔父など家族が反対運動をしているという環境で育ち、原子力発電の危険、政策推進についての政府・行政・電力会社の対応などの情報が入り、教育される。
中学生のころから、反原発や高レベル放射性廃棄物問題の集会や勉強会に参加。
当初は親に連れられて、済んでいた田舎から岡山市へ遊びに行けるという部分を魅力に感じていたのも事実だが、集会や勉強会の中で聞く話から反対の意思を明確に持ち始め、自立的に行動を始める。

原子力発電の危険性や高レベル放射性廃棄物についてのインパクトも大きかったが、それ以上に、高レベル放射性廃棄物や事故など明確な事象に対する推進側の言動・行動への疑問。
間違ってること、重大な被害の可能性があること、現地住民など一部の当事者への過剰な負荷の偏りに対しての対応、矛盾への憤り。が反対意識を持つ原点。

・原子力政策への反対行動と想い
岡山県内への高レベル放射性廃棄物処分場誘致への反対運動への参加をきっかけとして、高レベル放射性廃棄物の全国集会参加や上関原発反対集会参加などを行なう。
反対運動に参加しながら勉強し状況を肌で感じながら自分の意見が出来上がって行く。

鎌仲ひとみ監督作品「六ヶ所村ラプソディ」をきっかけに岡山上映会実行委員会の代表を引き受ける。
それまでの活動を通して感じていた反対運動への違和感を自分なりの形で変えてみたいと思う気持ちが強かった。
つまり、推進派と反対派の対立軸の起こり方、一般市民との乖離、根本的な人間のあり方エネルギーとの関わり、というような違和感。

「六ヶ所村ラプソディ」に感じたのは原子力・エネルギー問題を一部の特殊な人たちの物から、誰もが関係する身近な問題へとシフトするための問題提起素材としての可能性。
実際に映画と通信の上映会を通して、小さいながらもそれが可能なことも確認できた。
これから必要なことは、これまでの40年以上の歴史や議論の資産をふまえて活かしながら、どうやって次のステップへと進んで行けるのかということ。

・反対派meets推進派
話がようやく本題に入る。。
冒頭に書いたようにそんな反対派な自分が推進派と接触したのです。
今まで対立軸の中での対峙は有った物の素の状態というか、推進同士での意見交換は当然見たことがなく、新鮮な物だった。

予想とズレが少なかったことは、
原子力の有用性とそれを取り扱う技術への認識において、推進と反対では全くといっていいほど共通項が見いだせないということ。
残念ながら40年以上平行線をたどっているだけのことはある。

予想と違ったことは、
推進派の持っているコンプレックスが大きいこと。
(これまで国内で原子力政策が認められていない。反対されているということへの)
原子力・エネルギー問題について対話をしたい、知ってもらいたいという欲求が強いこと。
但し対話相手として反対派は含まれない。それはコンプレックスを生んでいる相手だから。

個々の事象に対して突っ込みたいところもあるのだけど、今はちょっと置いておく。
それは。。とにかく話がしたいから。。

・これから
これらを踏まえて、これからどうするのか?議論の平行線を継続してお互いに無駄な労力・コストをかけつづけるのか?
そもそも、なぜここまでの強固な対立軸ができているのか?
話が少しズレるが、米ソ冷戦構造を作ることによって生まれる利益があったように、高度経済成長期に資本主義と共産・社会主義の対立バランスによって保たれていたものがあるのだと思う。
そのために必要以上に対立軸が形成された問題が多く有るのではないか?ということを感じている。
現状の日本では、その価値観で維持出来ない状態になっている。
戦後65年がたって、いろんな状況が変わっている、今までの価値観や利益構造では維持出来ない状態。

同時に対立することに、労力やコストを払っている状況でも無い。
そのために、共有出来る問題、共通項を見つけることを優先して、前向きに議論するためのベースを作る。
前向きに議論するためのベース(信頼関係)が出来て初めて、意見対立が起こっている部分の話がちゃんとできるのではないか?
もちろん意見対立してるのだから、そのまま議論が壊れるかもしれない。
でも、あきらめずにベースとなる部分に立ち返るということができれば、少しでも前にすすまないだろうか?
そんな可能性を感じている。
そしてそのためには、やはりもっと多くの人に原子力をはじめとしたエネルギー問題を身近な問題としてとらえてもらう努力が必要。
少しずつできるとこから、できる人から、共通項を見つけて議論をするべきだと思う。
誰も状況を悪くしたいと思って推進や反対を言っているわけではないから、真摯に向き合えば少しずつでも変えて行けるはず。
自分で書きながら難しいし無理があることも判ってるけど、きっとそうするしかない。
そして、あなたはどう思いますか?

あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA