3.11による福島第一原発事故事故発生当時の行動


ずっとブログに残そうと思いながら、書けないままになっていたので、自分用の記録として残します。
3.11の東日本大震災とそれによる福島第一原発事故の時、岡山という場所に居た自分がしていたこと。

まず、地震発生を知ったのが当日の夕方19時頃。仕事に集中していてTwitterを始めネット情報も観ていなかったので、発生から4時間もなにも知らずにいました。岡山はそれだけ平和だったということ。
夕方からイベントの打ち合わせに来ていた友達と話しながらTwitterタイムラインをみて異変に気付き、テレビとネットから情報収集を始めました。津波の映像を観たその瞬間から「原発は?」と東北太平洋岸の原発を確認し、情報収集の方向をそちらに絞りました。

女川、福島第一・第二、東海、各原発の状況を収集して、起こる可能性のあることにどう対応するか?考えながら、まず、Twitterへメディア情報のまとめや反原発系の有識者の方の分析のリツイートを行ないはじめる。
日付が12日に変わる頃からは、福島第一の情報に絞りつつ、放射能漏れに備えての防護情報の収集と浜岡原発を想定した原発震災対策のサイトアドレスの拡散をはじめました。

年度末で繁忙期でもあったので仕事をしながら、テレビ付けっぱなしで状況の変化に備え、空き時間は全て情報収集と再発信にあてるという状態を1週間ほど続けていきます。

12日の夜には、CNIC(原子力資料情報室)がUSTでの情報発信を始めます。
Twitterの情報は被災地でも受け取れている人が居るという情報もあったので、情報発信を防護情報に重点を置いて、対処項目ごとに分けてツイートしていきます。

13日に入り、Twitterでの防護情報発信では文字数上の制限があること。その時点で避難と防護処置のみを解り易く伝えるウェブページが無いこと。から避難と防護情報のまとめページの作成に入ります。知人や友人からも情報提供をもらい、15時過ぎに公開。
当然、被災地に届くかどうか?という心配もありましたが、出来る限りのことをしたい、一人でも情報を受け取ってくれる人がいればそれでいいという想いでの行動です。
ページは、PC/携帯両方から見れるようにテキスト情報(QRコードを除く)のみ、避難所などでの掲示を考慮して、A4用紙にプリントした際にも見やすいレイアウトと文字サイズで作りました。
それ以降随時、収集した内容からページへの追加・修正作業を続け、Twitterで拡散をしていきます。

14日、15日とページ更新と拡散を続け、14日には福島/岩手からもアクセスが入り始め2日とも400程度のユーザー訪問に到達しました。

16日でTwitter上の拡散を停止。
情報が一通りまとまったこと、検索エンジンからの流入が始まったこと。Twitter上からのフィードバックを受けて頻繁に更新を続けることが体力的に限界に達していたこと。また、年度末に向けて仕事の量がピークを迎えていたこと。が理由です。
その後も更新頻度を下げつつも1ヶ月程度情報の発信をつづけ、初期対応の時期を過ぎたため、ウェブページを削除。

以上が僕がとった行動の記録です。

1ヶ月間のアクセス解析によるアクセスもと分布画像

1ヶ月間のアクセス解析によるアクセスもと分布画像

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