外国人が経営するお店で働いていたタイ人からの相談。
賃金が未払いであったため、支払いを請求したら突然解雇。住むところも無く県外に転出したが、賃金は未払いのままとなっている。
申し入れをおこない、雇用主と数回の話し合いをしたが、色々損害を被っており、それを差し引くとの主張を繰り返し全額の支配を拒否。
本人が岡山にいないのと、日本語が通じないため、人を介しての事実関係の確認のため、なかなか事実関係の是非がわからない。
ただ、最終的には3/4の未払い賃金の支払いで合意に達し本件は和解した。
コンビニでアルバイトとして働いていた。決められたシフト通りに勤務したら、本人の名前がシフトはもとより、名前すら削除されていた。
アルバイトとはいえども、あまり理不尽な解雇のため許し難いと、本人はもとより親も怒り心頭。
謝罪と未払い賃金、解雇予告手当の支払いを求めて申し入れ。
謝罪と未払い賃金の支払いは解決したものの、解雇していないので解雇予告手当の支払いはしないと主張し続けたため、少額訴訟。
結果、約2/3の支払いで和解した。
職場の同僚からの執拗なパワハラ(暴力を含む)に体調を崩し休職。
相手はなかなかの確信犯のようで、2人きりの時しかしないので、上司を含め職場の人たちは実態を知らない。
団体交渉を行う中で、働き易い職場環境を確保する事とパワハラの実態の一部を明らかにしながら職場復帰の道を探った。
今年2月から職場復帰を果たした。
職場でのパワハラ、セクハラと業務増により体調を崩して休職。職場復帰したものの、前の職場はない。
配置転換により、異議を留保しながら働いていたら、今度は賃金の減額を通告。そこでも争っていたら今度は解雇の通告。
そこでユニオンに加入。団体交渉を数回重ねる中、退職金とは別に一定の解決金を支払う事で和解が成立した。
特別養護老人ホームの組合員で分会を結成しているが、なかなか炉劣な労働条件の改善ができない。
団体交渉も途中から拒否。労働委員会に斡旋申請したが、拒否。その後は団体交渉も拒否したため、不当労働行為として救済の手続き。
救済命令が出る前に相手側が団体交渉の開催を受け入れた。ただ、団体交渉は開催しているものの、要求項目は前進はない。
現在、深夜勤務17時間拘束で2時間の休憩を与えるようになっているが、その休憩は自分の判断で取得せよ。
と代替要員すら配置しない中で休憩が取得出来ない実態を認識しながら、時間外手当の支払いすら認めようとしないため、
現在、過去2年分の時間外手当の支払いと慰謝料請求の訴訟をおこしている。
ある日突然、業務不振による業務縮小、廃止に伴う県外への配転希望調査がおこなわれた。
詳細が不明で、この調査に応じると退職せざるを得ない内容となっていた。そこで相談、ユニオンに加入。
団体交渉の開催を求めた。第1回の団体交渉でも詳細は不明のままであったため、再調査を確認した。
2回目の団体交渉では、退職する事が前提の話になり、一定の解決金を払い退職すると言うことで和解が成立した。
ある日突然、全従業員の解雇を通告してきた。この会社の経営者は3つの会社を経営している。
今回そのうちの2つの会社の従業員全員を解雇する旨を、1週間ほど前に会社側弁護士を通じて通告してきた。
経営状況もとより倒産なのか譲渡なのか詳細は不明で、年度末解雇だけははっきりしている。団体交渉の開催を求めている。
【簡易訴訟】
業務中の負傷事故に伴い、休業、通院治療中に雇用期間満了に伴う雇い止め
パ−ト労働者が同僚の不注意な行動によって業務中に負傷し、労災の扱いになった。本人は、休業し通院治療中であったが、日曜日は会社の業務が忙しいと、善意の気持ちから職場に出て勤務した。しかし、結局痛みがひどく本来業務の仕事はできないので、他の簡易な仕事に従事し、どうにか一日勤務し、翌日からまた休業。通院治療を続けた。
この期間中に会社から昨年の6月末で雇用期間満了に伴う雇い止めの通知を一方的に送付してきた。本人は地労委へ斡旋申請したが、会社側が拒否。そこで簡易訴訟をおこすことになった。
雇用契約を調べると、契約書の原本は3通作成したと雇用主は言っているが、本人はその原本をもらっていない。面接時にも1年の有期雇用は知らされていなかった。採用後同僚たちの話を耳にする中で、有期雇用であることは何となく認識していたが、ほとんどの人が引き続き雇用されている実態を見たり、聞いたりしていたので、本人も引き続き雇用されるものと思っていた。
労災保障は怪我をした日から途中の1日勤務した日までの日数分は保障がされたが、それ以降は認めて貰えなかった。会社からは何の連絡もなく、当然保障もなく、突然5月中旬に、6月末で雇用期間満了にともなう雇い止めが郵送されてきた。しかし、負傷事故の直接的な要因の同僚は引き続き雇用継続されている。
考えられることは、労災の申請をした事で当然労基署が事業所に入りました。要するに労災申請した事に雇用主が嫌悪し原告を雇い止めしたと想定される。しかし、だとしたら、業務中の負傷事故を、国民健康保険を使用して治療を暗に求めていることになる。これは健康保険制度の根幹にふれるものである。
また、簡易訴訟の中で明らかになったのだが、雇用主は雇用契約書は3通の原本があると主張している。しかし原告は、雇用契約書は貰っていないため、たまたま当時、地労委に提出するため、雇用契約書が必要となり、会社に行って原本のコピ−を貰った。この雇用契約書の写しの、本人印が押印されている位置と、本人が原本のコピ−の写しを貰った雇用契約書の、本人印が押印された位置が違うことに気がついた。雇用契約書はもともと存在せず、今件がおきてから、後日第三者の手によって作成されたものであると主張している。
雇用主は、原本は3通作成されていると主張している。1通は四国の本社に保管し、1通は岡山の事業所にあり、最後の1通を本人に渡したと言う。3通作成されたのだから原告の印鑑が押されている位置は3通とも一緒ではないと主張している。
しかし、この主張が正しければ、雇用主が簡易裁判所に提出した雇用契約書と同じ契約書が、会社が持っているとする二通の雇用契約書の中に、原告のコピ−と全く同じものが存在しなくてはならない。
原告として今件の問題点、雇用契約書の存在の有無、業務中の負傷事故で通院町の原告に対して、雇い止めが法的に許されるのか。がおおきな争点である。今回まですでに4回の公判がされた。次回7月がおそらく最後の公判になると想定されます。裁判所がどのように判断するかであるが、常識的には原告の主張が認められなくてはならない。
05年12月に判決が出された。精神的苦痛に対する慰謝料は、その事を認めるだけの事実が見あたらないとして退けられたが、業務中の負傷事故に対する損害賠償は原告の主張がほぼ認められた。会社が控訴しなかったため、06年1月に判決が確定した。
【退職を余儀なくされた、精神的苦痛に対する闘い】
毎年明確な理由も告げずに賃金差別が繰り返えされ、退職せざるを得ない状況に追いやられた。この精神的苦痛に対する会社の姿勢を質し団体交渉を重ねてきた。会社はTさんに対する不適切な対応を謝罪し、一定の解決金を支払う事で和解した。
【軟禁状態での恫喝、解雇通告に対する闘い】
職場の上司の事を吹聴した思い込み、軟禁状態での恫喝、解雇通告等の人権侵害に対して、団体交渉を開催。会社も詳細は別にしてそのような事態があった事が想定されるとして、謝罪文の提出、その月の賃金及び解雇予告手当を支払う事で合意し、和解が成立。
【雇用形態の問題で団体交渉の開催】
Iさんはハロ−ワ−クを通じて派遣会社に面接にいき、派遣会社に登録。その派遣会社に派遣させると言う、偽装派遣。派遣社員として1年数ヶ月働いていた。突然本人に何ら説明もなく、契約社員としての雇用形態に変更させられ、2年に及ぶ反復更新の末、雇い止めを突然通告された。会社と団体交渉。会社はもともと派遣社員として雇用したつもりはなく、契約社員として雇用した、雇用契約書に不備があり申しわけないと答弁。改正され労基法の時期からすると、社内の内規(契約社員は2年で雇い止め、を2004年6月に作成)が労基法に抵触するのではないか。また、反復更新を続けながら突然雇い止めも労基法に抵触するのではないか、との追求をした。会社は一連の不備を本人に謝罪し、Iさんに一定の解決金を支払う事で和解した。
【自主退職を認めない会社を相手に団体交渉】
Tさんは勤めていた会社に1ヶ月後の退職を告げると、当初は期限の延伸を求めていたが、本人の意思が変わらないと見るや、当月末での退職を強要。拒否すると退職を通告。会社の一連の対応等について団体交渉を開催。Tさんの通告通り、当初の日程で退職になった。また、退職金の支払いについても就業規則通り支払う事を文章で確認し解決した。
【突然の配置転換に対する闘い】
Hさんは突然配置転換を通告された。この配置転換によって毎月決まっていた残業がなくなり、月8万円ほどの減収になり、生活設計に大幅な狂いが生じた。会社にいくら理由を求めてもらちがあかないため、団体交渉で追求している。この会社、調べれば調べるほど翌月分の勤務画定のあり方、就業規則の不備、割り増し賃金の未払い等多くの問題を抱えている。雇用保険も入り、厚生年金も支払っている、また、入社同意書では正社員としての採用を明らかにしているものの、会社はあくまでもHさんはアルバイト採用であると固執している。また、配置転換は本人の勤務態度に問題があったため、とうそぶいている。他の正社員の雇用形態などは組合員でないため、交渉の席では答える必要がない、との対応に終始しており、Hさんを正社員と認めない事で、正社員の不明瞭で労基法違反のな雇用形態がオ−プンになることを防ぐためと想定される。このままではHさんの雇用形態について第3者機関での判断を仰ぐ事になるだろう。その後他の問題についての交渉に移る事になるだろう。
【残業代と年次有給休暇の使用を求めた闘い】
・退職を決意したAさん。過去2年間の残業代の未払いと退職日までに年次有給休暇の消化を求めて申し入れ。年次有給休暇については認めたものの、残業代は会社としては指示していないと拒否。残業代については小額訴訟をおこした。残業が会社の指示か本人の意思なのかが争点。裁判所の和解案が提示され、要求額より少なかったが、本人もその和解案を了解し、本件は解決。
【突然の配置転換に対する闘い】
突然の配置転換と月間の労働時間の短縮を通告されたBさん。これでは生活ができないとユニオンに相談。引き続きその会社では働きたくないが、過去の残業代の未払い分と退職日までの年次有給休暇の消化を求めて申し入れ。すべての要求を認めたので、本件は解決。
【事実上の退職強要に対する闘い】
パ−トのCさん。突然月間の労働時間の短縮と勤務時間の変更を通告された。事実上の退職強要。ユニオンに相談。意義を留保しながら勤務していた。想定通り今度は解雇通告。解雇予告手当の支払いと年次有給休暇の買い取りを求めて団体交渉。すべての要求が受け入れられたので本件は解決。
【特定派遣Dさんに対する解雇事件の闘い】
特定派遣のDさん。試用社員として採用され、派遣先の就業場所で勤務していた。同じ派遣元の社員が派遣先の就業先で働いており、その人と残業問題で若干のトラブル。派遣先は双方の主張を十分聞く事なく、派遣先に返されそこで短期間勤務していたが、突然今度は自宅待機。そして、解雇通告。労働局の斡旋、ユニオンとして団体交渉の開催をしてきたが、解決には至っていない。この派遣元は派遣先による100%出資の会社で、要するにグル−プ会社。派遣先は就業先と請負契約を結び、そこに派遣元、派遣先、その他の派遣会社から、その就業先で特定派遣として多くの人が働いている。巧妙な手口による二重派遣の疑いがある会社であるが、その証拠はつかめていない。地労委の斡旋により、会社が解雇金を支払う事で和解。
【登録派遣Eさんの事実上の解雇に対する闘い】
登録型の派遣社員Eさん。3ヶ月更新を5回繰り返していた。派遣契約は26業務として契約していたものの実態は一般派遣。14ヶ月が経過した時点で、派遣元より派遣先の経営が厳しいので次回の契約更新は難しいかもわからない、と告げられていた。本人もやむを得ないと思っていたが、正社員の日々の勤務状況を見ていると経営が厳しい雰囲気は見受けられない。契約期限が迫る中、ハロ−ワ−クの情報を見たと言う、いくつもの派遣会社から(派遣契約を結びたい旨)の電話を本人が受け付けていた。これは何かおかしい、とハロ−ワ−クに出向いて見ると、本人がおこなっていた同じ業務に正社員を募集する求人広告が提出されていた。ユニオンとして派遣法の趣旨に反する。継続雇用を求め、団体交渉を開催。会社側は派遣法の問題については何ら解答せず、団体交渉の打ち切りを通告してきた。それからも再三団体交渉の申し入れをおこなってきたが、まったく無視の姿勢。団交の促進を求めて地労委の斡旋申請。その後の交渉で、会社がEさんに解決金を支払う事で和解。
【日雇い派遣Fさんの闘い】
日雇い派遣にも登録していたFさん。派遣元からの紹介で、勤務先で仕事をしていたが、その日の派遣依頼はしていなかったことが判明。本人は派遣元に1日分の賃金を請求。派遣元はその時間だけの支払いに固執。ユニオンとして申し入れ。要求が通ったので本件は解決。
【基本給から皆勤手当分が徴収されていたGさんの闘い】
アポインタ−の仕事をしていたGさん。月の途中からの勤務。翌月の給与を見たら、皆勤手当が基本給の中から2万円徴収されていた。皆勤手当が支払われないのは理解できるが、2万円の徴収はおかしい。これでは時給1.000円の契約なのに、月に1日でも休めば時給が1.000円ではなくなる。また、残業の未払いがある。ユニオンとして皆勤手当の払い戻しと残業代の未払い分の支払いを求め、申し入れ。会社側は本人との了解の上雇用契約しているので問題はない、との回答。ユニオンとして、法律に違反する労働契約は無効、と主張。最終的に会社側がユニオンの要求を受け入れ、全額振込みがされたので、本件は解決。
【上司のパワハラ、人権侵害に対する闘い】
病院に勤務しているHさん。長期にわたる上司からのパワハラを受け、精神的にもまいっている。また、病院側も上司の主張をすべて鵜呑みにし、本人に反省文のような確約書を書かせている。このままでは事実関係は闇の中で、解雇されそうである。このままでは辞めたくない。団体交渉を開催。予想通り、病院側は本人の勤務状況に問題があり、上司に全く問題はない回答。反省文的文書の提出も本人の勤務に問題があり、指導の一環である、と答弁。これまで3回の団体交渉を開催。特に3回目の交渉の席には、顧問弁護士も入り、労・使で本件の解決に向けた合意案を確認したものの、後日その内容を破棄してきた。そこで地労委斡旋。しかし不調に終わった。現在、退職し退職を余儀なくされたとして、訴訟の申し立てを行った。
|