「残像」をみて

2017年7月31日

数ヶ月前のある晩ニュース番組を見ていると,
昨年亡くなった有名な映画監督の遺作となった映画が,近く日本でも上映されることになった,とのことだった。
アンジェイ・ワイダ監督の「残像」という作品だった。
長らく映画を見ていなかったことから,映画にはすっかり不案内で,この監督の過去の作品で予習をし,「残像」に備えた訳だが,予習の映画は,「カティンの森」(2007年)となった。
これが,また大変重い映画だった。
「カティン」とは,第二次世界大戦中,捕虜となった1万数千人のポーランド将校が,ソ連軍によって虐殺された地の名称である。日本では,この事件自体を知らない人も多いのではないかと思われる。
映画は,その虐殺の事件を通じて,第二次世界大戦にて,ドイツとソ連に挟まれ,その二国に分割統治され,さらに,第二次世界大戦後も,引き続きソ連の影響下にあって,いわば運命を翻弄され続けた国において,多数の将校が虐殺されたという歴史的事実「カティンの森事件」を語ることすら許されない,人権の保障がない社会の過酷さを描いていた。
人の命が如何に粗末に扱われてきたか,さほど遠くない過去の出来事とはとても思えないものであった。

で,今回の「残像」は,実在のポーランドの画家ストゥシェミンスキ(一度読んだだけでは憶えられない)の晩年の四年間を描いた映画とのことである。
西暦でいうと1948年ころから1952年ころということになる。「カティンの森」でも,第二次世界大戦後のポーランドの社会が描かれていたことから,その時期はほぼ重なると思われる。
映画「残像」は,憲法的に表現すれば,個人の尊厳も,思想良心の自由も,表現の自由も,生存権も,果ては,適正手続も,保障されていない国において,国の掲げる政策に従わない芸術家は,人として扱われない,その有り様を描いている。
画家が自らの描きたいものを描くことが許されないというのであるから,人格を否定され,社会的に抹殺されているといえる。

映画では,「残像は,ものを見た時に目の中に残る色なのだ。人は認識したものしか見ていない」という主人公の画家としての理念を示すことばが,印象強く紹介される。
このフレーズが,見る者に訴えかける意味を考えると,なかなか多義的でとらえどころがなかったりする。
思うに,表現の自由,思想良心の自由を大切にしようとし,体制に従わない芸術家は,そのことに無関心な人々には認識すらされない,ということかと考える。
そのことを,終盤,ショーウィンドウでマネキンの飾り付けの仕事をする主人公が,病のため,ショーウィンドウの中で倒れ込む,通りを行き交う人は,主人公が倒れるだけでなく,ばたばたとマネキンも倒れたり,マネキンのパーツがぶら下がったりしている異常な様に気付いても良さそうなものであるが,人々は全くそれに気付くことなく歩いている,というシーンで表現しようとしたのかと考える。

そして,この映画を観た以上,ちゃんと認識しろ,ということなのかと。

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