岡山という現実
 
どういう映画になるのか。ほんとうは、よくわかっていない。
そもそも最初からずっとそういうところがありました。
でも、作るっていうことは、一面ではいつもそういう冒険なんです。
ぼくの頭のなかにある「作品」をみんなに押し付けて、それが出来あがるようにやってくれっていうことでは、いけないんだと思ってきました。
肝に銘じていたのは、岡山の人と風景に出会ってゆくなかで生まれてくるものが大事だってこと。ワンカットずつ、発見してゆくように撮りたかった。
 
2006年12月の岡山映像祭で製作発表をすることになって、それに間に合うように、「あらすじ」と一緒に「岡山への挨拶」と「製作のためのメモ」を書きました。才能や経験とかではなく、また、主題やメッセージの積極性でもなく、自分の表現への信念、情熱、さらには映画への欲望っていうものを買ってもらおうと。
 
お金のかかっている普通の劇映画の真似をするつもりはなく、かといって、最後まで人間をあたたかい視点でとらえることをしない高級そうな芸術にも、うんざりしている。
前衛とか実験とかいうようなことは、形式としてそれだけを目的にするなら、簡単なんです。その表現が、普通に人が生きている現実の地平につながるかどうか。それが勝負。いままでになかった新しいものをつくる。でもひとりよがりな芸術をやるんじゃない、というところで、しぶとく粘ってやっていこう。そう思っていたわけです。
 
人間へのあたたかい視点が必要で、ただの前衛はだめで、ひとりよがりは許されないっていうのは、主に詩を書きながら考えてきたことだけど、それを、たとえば東京に対して岡山がもつ感じ方につなげていたかもしれません。
また、ぼくが岡山を好きだっていうことは、自分の信念に岡山の具体的な風景をあたえるということで、そこから岡山を舞台にした映画が始まる。強引な言い方に聞こえるかもしれないけど、そう思っていました。
 
現実に出会い、現実を見なおし、さらには新しい現実を生みだす場所として、岡山をつかまえようとした。ロケハン(撮影場所探し)をしながら、いちばん感じていたのは、そういうことです。そこに住んで慣れているのでもなく、旅行者として驚きながら通過するのでもない、5年間岡山にいたことがあっていろんなつながりをもってきた自分の目を信じたいと思いました。