2008.12.29〜2009.1.5.

12月29 日(月)
嵯峨直樹『神の翼』を読む。歌集である。
短歌をどう読んだらいいのか、いつもとまどうが、
この1971年生まれの歌人の仕事には新鮮な「いま」を感じた。
たとえば、
〈君よ君、かわいい人よ、粗っぽい現実の来る期限は近い〉
の〈粗っぽい〉が〈荒っぽい〉ではないこと。
へんな言い方になるけど、
現実感のタガがはずれていることのリアルさがある。

窓拭きをする。たいしてきれいにならなかったが、
久しぶりの「肉体労働」。そのあと、しばらくぼんやりした。
午後6時半から、野口整体の活元会。
いったん帰宅し、入浴し、
ちょっと食べて、ちょっと仕事してから、
「奏」に行く。
いろんなミュージシャンの出る、今年最後のライヴ。
そのあとのパーティー。演奏がつづく。
(朝の9時まで演奏がつづいたそうだ。)

12月30日(火)
年賀状を書きはじめる。
そして、原稿。
大江健三郎の文学について考える。
その影響から逃れることが、二十代からの大きな課題だった。
いまは、ちがう態度で接するときだ。
彼の生まれた村へ行き、それから
加藤典洋さんの『文学地図 大江と村上と二十年』という本を読み、
その思いをつよくした。
午後8時、今年の「仕事」はここまでと断念して、
FUKUSUKEへ。
福間塾の藤井さんと小山さん、
そして洋菓子作りの先生の堀田さんと、
忘年会シリーズの最終回。

12月31 日(水)
母がひとり暮らす国分寺の実家に行き、
弟(福間雄三)と大掃除をする。
物心ついたときから、外国に行って留守だった数年をのぞいて、
ずっと大晦日は実家の大掃除をしている。

1月1日(木)
お正月。午前中、国分寺で。午後は、国立で。
年末年始は、国分寺と国立を往復する。
国立に住むようになって20年以上、ずっとそうしている。

1月2日(金)
午前中、国分寺。
午後、新幹線で、岡山へ。
赤磐市にある妻の実家、小宮山家で、
義母、義兄夫婦、義妹夫婦との新年会。
(この人たちがみんなで『岡山の娘』製作・上映をサポートしてくれた。)
甥と姪の若い世代も。
『岡山の娘』にも出てくれた姪の小宮山香ちゃんの
バレエの公演のDVDを見る。
『くるみ割り人形』のクララ。
映画では「お嫁さんになりたい」と言っていた彼女だが、
4月から化粧品会社に就職する。
岡山市谷万成の禰屋家(義妹夫婦の家)へ。

1月3日(土)
『岡山の娘』のヒロイン、みづきの家として
撮影にも使わせてもらった禰屋家。
ここに泊まる大きな楽しみのひとつは、
朝、犬のリッキーと散歩すること。
笹ヶ瀬川の川べりに行く。
冬枯れで緑がほとんど消えているけれど、
『岡山の娘』の「夢のかたすみで」みづきがさまよう場所だ。
散歩のときに頭に入れているので、
ここなら、目をつむっても撮影できるほどだったのだ。

禰屋家にいるもうひとつの楽しみは、
ケーブルTVで映画を見ること。
ヴィデオやDVDに録画したものも無尽蔵にある。
で、今日は「シネフィル・イマジカ」というチャンネルの
ハロルド・ロイド特集。
『猛進ロイド』(監督サム・テイラー、フレッド・ニューメイヤー、1924)。
これは、後半、ヒロインと重婚男の「結婚」をひっくりかえすために
ロイドが式場に向かう、その「猛進」を徹底的にやる。
やはりテイラーとニューメイヤーによる『ロイドの人気者』(1925)も見たが、
こちらはそれほどでもない。
どちらも、ヒロイン役の女優ジョビナ・ラルストンが可愛い。

「アクア東中野」以来、風呂好きになっているわたしの提案で、
温泉に行こう、ということになって、
近くの苫田温泉「桃太郎風呂」へ。
帰りに、岡山名物ぼっこうそば(知らなかった)の水仙亭へ。
温泉のあとの、そば焼酎のそば湯割りで、
120パーセントいい気持ちになった。
完全に「岡山の休日」気分。
夜は、岡山に来たらかならず食べる「大漁寿司」の出前をとってもらう。

松山善三の第一回監督作品『名もなく貧しく美しく』(1961)を
たぶん47年ぶりに見た。
どちらかといえば軽んじてきた作品だが、
ろうあ者の夫婦がけんめいに生き抜く姿、
玉井正夫のカメラ、小林桂樹と高峰秀子の演技、
手話による会話でのスーパーの使い方など、
なかなかいいなあと思って見ていた。
しかし、ラストがまったく納得できない。
何のために高峰秀子が死ななくてはならないのか。
「愛と感動の物語」、そのために安易に人を殺すな。

短篇映画もいくつか見た。
フランスの二本、
『アンナのトリップ』(1998、ギヨーム・ブレオ監督)と
『ギターのレッスン』(2006、マーティン・リット監督)がよかった。
前者の、少女が中年男の家から逃げるときのバックの色が目に残り、
後者で使われた歌「レティシア」が耳に残った。

1月4日(日)
朝、リッキーとの散歩。
朝、いい景色のなかに犬と散歩に出るというのは、
いろんな点から考えて、ものすごく贅沢なことだ。
ハロルド・ロイドの『スピーディ』(1928、テッド・ワイルド監督)。
たとえば仕事をクビになっても困らないというのは、
人生においてばかりでなく、映画の作劇法からいっても、気楽なものだ。
ハッピーエンドにむかって遊びながら進むだけ。それでいいのだ。

バスで、岡山のセンターへ。
表町の、『岡山の娘』で集合場所にしていた時計台前。
そばにテーブルと椅子のある喫煙コーナーが出来ている。
信三がしゃがんで、女の子が通るのを見るカットを撮ったところだ。
いたるところに、『岡山の娘』で撮った風景がある。
一年数か月という時間の経過も感じるが、
夏と冬ではこんなにちがうのかとも驚かされる。
めちゃくちゃ暑くてめちゃくちゃ大変だったけれど、
『岡山の娘』は夏に撮らなくてはならない作品だったのだ。

シネマクレールで『僕は君のために蝶になる』を見る。
香港映画、ジョニー・トー監督。
音楽評論家保母大三郎さんのまねをすれば、
「自称乙女のおばさんか足の太い女子高校生向け」のバカな映画だが、
いまの女性が好む要素、彼女たちが夢見るダメージの受け方などについて、
謙虚に学ぼうと思った。

表町のOTOYAでコーヒーを飲み、
西口へとゆっくりと歩き、
奉還町の閑散ぶりを観察して、
午後5時、新年会の会場、MIKANSEIへ。
『岡山の娘』のスタッフ・キャスト、
製作・上映の協力者のみなさんが集まってくれた。

途中から日本酒をハイピッチで飲んでしまい、酔ってしまった。
二次会は、岡山上映会の打ち上げをやった「優々庵」へ。
MIKANSEIでの後半から、記憶があまりはっきりしない。
年末年始、なんとか押さえ気味に飲んできたのだが、
岡山の親しい人たちに囲まれて、
すっかり気がゆるんでしまった、ということにさせてください。
途中、すでに岡山映像祭で上映されていた木村文洋監督『へばの』の話をした。
『へばの』は後半の20分がいいのだというわたしの意見に対して、
何人か、まったくちがう意見を持っていたようだ。
帰りのタクシーのなか、
妻とバルカンの東井浩太郎さんになにか言って、なだめられていた。
『岡山の娘』で果たせなかったこと。やりのこしたこと。
それを言った。それは、はっきりとおぼえている。
いや、ほんとうは単純にバカなことを言っていたような気もする。

1月5日(月)
リッキーとの散歩から一日がはじまる。
次にやれるのは、いつだろう。
15時3分岡山始発の「のぞみ」で帰る。
その前に、甥の康ちゃんとそのガールフレンドの亜矢ちゃんに会い、
ものすごく久しぶりに中華料理店「廣華楼」に行った。
康ちゃんからいうと伯母、つまり、わたしの妻と、
母、つまり、わたしの義妹が一緒。
ということで、五人でテーブルを囲んだ。
今回は、天神そばも成田屋もない岡山だったが、
それでも「廣華楼」の豚天があるのだ。
岡ビル(市場)は今日からで、もちろん、行きました。
午後8時近く、国立に戻る。
「奏」に寄って、そこでも、
家に帰ってからも、岡ビルで買ってきた「ちょっとしたもの」を肴に、
(『岡山の娘』のみづきとさゆりのように)飲みました。

みなさん、遅くなりましたが、新年のあいさつを送ります。
2009年、遠くでも近くでも、
さまざまに大変なことがあるでしょう。
でも、よろこびにあふれる一年となりますように。
そして『岡山の娘』、いろんなところに行きます。
どうぞ応援してください。