気候変動サミット

2009年9月24日

宇宙から撮影された美しい地球の映像を見ながら,もはや後戻りできないくらいに破壊されている地球環境についてサミットが国連で行われている。鳩山総理は,世界に具体的数値を示してCO2削減を宣言し,各国から高い評価をえている。

当たり前だといえば当たり前で,もはや遅すぎるかもしれない決断である。これに対して日本の産業界からの反応は冷ややかなものである。しかし,世界が注目する中なされた約束である。これを実現すべく,国内論議が活発化しなければならない。化石燃料を利用するより自然エネルギーによって生み出された電気を使用する方がCO2の排出は少なくなる。なにもかも電気にすればそれで解決するのかといえばそうではない。持続可能な循環型社会に変えていかなければならない。

先日,倉吉の裁判所から帰りに津山に抜けるために人形峠を通って帰った。人形峠には役割を終えたウラン濃縮施設がある。そして,近くにウランが採掘されて廃坑となって,有害なウラン残土が保管されいる場所もある。何気なく人形峠の町を通り過ぎようとしたところ,ガラス博物館があった。微量のウランをガラスに混ぜて怪しい光を放つガラス製品を作って販売もしていた。ウラン残土の有効利用の一環なのか,あるいは原子力の宣伝のためなのか,はたまた移動させることのできないウラン残土の安全性をアピールするためのものなのか,この施設運営の資金はどこからきているのだろうかと疑問がわいた。原子力による電力は,その最初のウランの発掘から最終的な高レベル放射性廃棄物の処理まで危険がいっぱいの性質のものであることを忘れてはならない。電気は環境にいいといいきるには問題があるのである。

この人形峠を過ぎると苫田ダムにさしかかる。地元の人が当初はその建設に反対していた。公共事業として強引に建設が進められていくと補償金をもらって村から離れていった。住民の人々はバラバラになっていった。補償金で大きな家を建ててその後破産した人もでてきた。八ッ場ダムもこの苫田ダムと同じような経緯をたどってきていた。しかし,ここでは無駄な事業としてダム建設にストップがかかった。無駄だとはっきりとわかっていることはしないことだ。十分な住民に対する補償は必要となってくるだろう。苫田ダムとは違って,同じ苦労なら無駄に手を着けないことを選択すべきである。きっと住民の中にも工事中止を喜んでいる声なき声もあると思う。

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