2度目の最高裁

2009年10月17日

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窓もなく,この石の砦のような建物が最高裁判所である。30数年前、コンペに掛けられて採用となった設計である。当時の設計者の目線で最高裁をイメージしたものであり,それを最高裁が採用したのだから,最高裁もこのイメージどおりであるべきだと考えていたのだろう。今の組織の実態も,やはりこのイメージのとおりと言っていいだろうか。政治の世界では官僚打破などといわれているが、司法の世界は最高裁事務総局を中心とする堅固な官僚組織が生きている。

きょう,最高裁での口頭弁論手続きにでかけてきた。最高裁で口頭弁論をするのはこれで2回目である。口頭弁論といっても,口頭で弁論をすることはない。事前に担当書記官から何度も電話での確認があり,提出している書面以外に口頭で申し上げることはないことを法廷で口頭で言えば足りるということの説明があった。きょうも,事件が始まる前に,そのことを書記官から念を押される。今日の法廷を傍聴にきていた人がいたが,審理されている内容は,傍聴しても全く理解できなかったはずである。今日は,話題の広島の幼児殺害事件に関して判決がある日だったせいもあるのか,厳しいチェック体制であった。あらかじめ南門からはいるように指示があり,門衛にチェックを受け,すぐに私が出頭したことをトランシーバーでどこかに報告していた。少しはいったところにパソコンを操作しながらさらにチェックしている人がいて,次はこの人の確認を受けて,さらにまたトランシーバーで報告していた。それが終わると建物の玄関のところまで案内してくれ,玄関には代理人控え室まで案内してくれる別の人が待機していた。控え室まで案内され,法廷でのマナーの説明を受け,さらに書記官が進行について最後のチェックをしたうえで,法廷への案内となった。前のときもそうであったが,権威なのかただただ警備のものものしさなのか,とても仰々しい応対である。

国は立法,行政,司法の3権で成り立っている。しかし,司法予算となれば国の予算の全体の数パーセントというところだろう。法律扶助予算は諸外国からみれば桁が違う少なさだ。一人の裁判官が300件もの事件を抱えているという状況であっても,最高裁自体が予算を獲得して裁判官の人員を増加させようという考えがない。私たちのころは2年間の司法修習時代は,給与が保証されていた。今は,1年間の修習期間に縮小されている。しかも来年からは給与も貸与となって返還を要するものとなる。刑事事件の大半となる国選事件は,低い報酬しか支払われない。異常に小さい,小さい司法なのである。

今日の最高裁で同じ時間に3件の口頭弁論手続きが入っていた。そのうちの一つは消費者金融に対する過払い請求事件に関するもので,よく存じ上げている札幌の弁護士がきていた。私と同じ被上告人の部屋で待機していたので,判決としては悪い方向になるというのは互いに察しがつく。消費者の視点で果敢に闘う弁護士である彼が,こうして小さい事件ではあるが重要な問題で懸命に闘っている姿をみて,こういう人がサラ金被害救済につながる新しい最高裁判例をいままで作ってきたのだと改めてその現場をみたような気持ちになった。

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