刑事手続きと民意

2010年4月25日

裁判員裁判それ自体は,もうあまりニュースに取り上げられなくなった。昨年の5月21日から始まった制度でもうまもなく1年を迎える。司法に国民の目が向いていく良いチャンスであった。特定の裁判員の意見がそのまま反映されることはないとしても,今までの裁判官だけの目でみていた目線と異なった感覚が反映された事件もあったのではないか。概ね重罰化の傾向が見られるが,これが一方的な被害者側にたっての応報的な重罰意識の反映だとしたら,冷静な目でみることの訓練が日頃から求められているといえる。刑罰は何のためにあるのか,少なくとも被害者の感情を満足させる仇討ちではないことだけはしっかりと身につけておかなければならない。

今週は,岡山弁護士会は,公訴時効の廃止の反対決議をあげた。国会ではこの27日にも廃止の法律が成立されようとしている。被害者感情を満足させるものとして大きな反対意見もなく衆議院は通過した。公訴時効が成立してもしなくても,実は何も変わらない。捜査機関において事件終了という手続きができなくなるだけで,真犯人が捕まるわけでない。どんなに科学技術が進んだとしても,事件そのものが再現できない限り,真犯人だと断定することは不可能である。DNA鑑定によっても,血液などの鑑定資料が誰かのものであるかどうかは確定できても,真犯人を特定できるわけでもない。足利事件のように返って誤って犯人に仕立てあげてしまいかねないのである。問題は,初動捜査の充実こそが必要なのである。被害者の被害感情におもねるだけの公訴時効の廃止は全く意味がない。えん罪の危険を高めるだけである。そんな観点から弁護士会は反対している。

検察審査会が2回起訴相当の判断をしたなら,強制起訴となることに改正され,その適用事件がここのところ2件続いてでた。検察審査会の制度は,とても良い制度である。裁判員制度よりは古くから起訴手続きに民意を反映させるもので,検察の職務を監視する意味もある。しかし,強制起訴手続きにまでその民意を広げるのはおかしなものだと思う。処罰を民意に完全に委ねてしまうことになる。人を刑事手続きに晒すかどうかの判断に,被害感情などの民意を優先しようというものだ。刑事手続きにさらすかどうかは被告人にとってはその人の人生を変えてしまいかねない出来事である。証拠の吟味など,この点については最終的には法律専門家の判断に委ねるべきことで,検察審査会の意見が公になることで,十分に役割を果たしているのでは無いかと思っている。

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