裁判員裁判と弁護人

2010年5月26日

今朝の朝日新聞の岡山版の記事で,裁判員裁判の結果の報道が大きくなされていた。その記事の大半をつかって弁護人批判が厳しい論調でまとめられていた。つまり弁護人の弁護力に問題があるようであり,聞いていてもわかりずらかったという内容の記事だったのである。

担当した弁護士は2度とこんな裁判を受ける気はしないであろう。確かに検察と弁護人とはもともと置かれている状況が異なっていて,その力の差は構造的にある。検察官は事件を検察庁という組織として担当し,組織で準備する。こうした刑事事件を常に専門的に担当していくことが仕事なのである。それを支える事務官など組織があり,方針等の決定にあたっては上級検察官の決済を得て行う。一方,弁護士は原則としてひとりで行わなければならない。国選であっては,例外的に複数の選任を受けることになるがそれも2人どまりである。しかも,多くの他の事件を処理しているのと並行的にしなければならない。検察官とは人的,組織的違いがそこにすでにある。

さらに,事件に関する証拠は,検察側が全面的に手にしていいるが,弁護人は開示された証拠しかみることはできない。まさに証拠の偏在がある。こうしたことがえん罪につながる原因の一つにもなっている。弁護人と検察官はもともと対等ではないのである。

今回の裁判員裁判の対策においても中央から組織的に研修プログラムにのっとって準備するのと事務所で一人の力で準備するのとは大いに異なる。しかも通常の事件を処理しながら,刑事事件は突如としてやってくる。そんななかで,適切に直ちに全面的にその刑事事件に取りかかることはできない。他の受任事件を処理しながらのことである。

とはいえ,裁判員裁判は裁判員として加わった民間の人にも十分に理解してもらえるように弁護人としての工夫が必要である。そのための日常的な研修は必要である。弁護士会としても組織的な取り組みをより強めていく必要があることは報道の指摘のとおりである。検察官との力の差は無くさなければならない緊急な課題ではある。しかし,こうした構造的な差があるなかでの裁判だということが公判前手続きの段階から十分に配慮されたものとなっているかと言えば決してそうではない。裁判を短期間で終わらせようと無理がなかったかどうか,そのことがわかりにくくさせる結果になったかどうか十分に検証されるべき事件ではなかったか。

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