面接交渉調停から

2010年6月17日

午前10時から倉敷で面接交渉を求める調停事件であった。当方が申立を受けた相手方の妻の立場である。別に現在,離婚訴訟が継続している。申立人である夫が子どもたちに是非とも会いたいと言っているが子どもたちの精神的状況がそれを許さないようになっている。離婚については実質的に合意があるといっていいのだが親権の帰属に関して決定的に対立状況にある。そんななかでの今日の調停事件であるが,苦しんでいるのは子どもたちであることは一番に今日の当事者は理解しているはずだ。調査官を入れてなんとか円満に実現するように当方も努力する約束をして次回となった。

その帰り道のことである。一瞬,アクセルとブレーキの感覚を間違えることがあった。すこし,ぼんやりとしながら運転をしていた。前方の車が交差点の赤信号で停車しているのが見えた。減速をするつもりでペタルに軽く力をいれた。すーっと前に進む感覚がして,一瞬ブレーキの故障かとビックリとした。足がアクセルにかかっていたのにブレーキだと思っていたのだ。すぐにブレーキに足を置き直し,ブレーキを踏み込んだ。十分に前の車とは間隔があって危険なことはなかったが,こんな感覚の違いを感じたことはなかったので,それから事務所に着くまでは常に足がどこにあるか頭で確認しながら運転していた。ときどき,ペタルを踏み間違えて事故を起こした老人のニュースをみてバカにしていたが,もしかしてこんな感覚だったかもしれない。常に明確な意識と感覚をもって運転しなければと自戒した次第。年ですから。

午後は,法テラスの申し込み案件に関する審査業務を担当した。いくつかの事案審査を担当したが,申込者はいずれも極めて低額な収入であった。法テラスへの申し込みであるからすべての事案について収入がそんな多いわけではないが,それでもとても生活できない程度の給与しか支払われていない。あるいはアルバイトでボーナスもでず,1ヶ月働いても10万円にも満たない程度の支給の実態もあった。今の社会の病める部分を知らされる。負債整理と家事事件であったが,この種の事件は私の個人事務所においても一定の割合を占めている事件である。

これを終えて,国を相手の課税処分を取り消しを求める訴訟の弁論準備期日であった。国側は,全部で10人近くが出席していた。いつも異様に写る風景である。この事件が終わって,かつて何度も相手にしていた金融業者がいまは当方に事件依頼にきている事案の処理であった。これを終えて急な接見要請のために警察署にでかけた。その間に月曜にニューヨークの裁判所であった事件について担当の弁護士から上手く進んだとの報告があったもののすぐにいろいろと基本的なことについて質問がきている。これの処理もすませたりしていると一日が終わった。まだ未処理事案を残して,,,。

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