それは,司法のあり方の問題として

2010年7月27日

先日の山陽新聞トップに新人弁護士の厳しい就職状況が報道され,弁護士となっても仕事がなく,受験時代からの借金を背負っての厳しい経済状況が続くことが記事になっていた。これが,新聞のトップを飾る記事だろうかと,見識を疑うものである。このセンセーショナルな扱いは,読者の注目を集めて,売れることになるのかもしれないが,週刊誌的な扱いのように思えた。しかし,指摘されている事実は現実にあることは事実だ。

この問題は,日本の3権の一つである司法のありかたが問われている問題だとの基本的なとらえ方が必要である。司法は裁判官,検察官,弁護士の法曹によって支えられている。司法のあり方として,「法曹一元」などの理念が語られたりしている。その一角の弁護士の世界にいま起きていることである。その司法を担うべき法曹の養成は,まさに国家の責務の一つである。その法曹の数が日本の司法のあり方として,健全な数なのかどうか,質はどのように確保されているのか,その司法はどのような方向を目指しているのか,その視点を欠いた記事はしょせん興味本位の記事でしかない。

戦後の長い間,法曹になるためには司法試験に合格しなければならなかった。法科大学院に進学する必要はなかった。しかし,合格率2パーセントという多くの人にとって過酷な受験生活の末やっと合格し,2年間の司法修習は準公務員として給与の支給を受けて養成された。現在は,大学を卒業し,法科大学院に進学して卒業後に司法試験を受け,1年間の司法修習を受けるが給与はこの11月から貸与制になる。そのため,その1年間の司法修習の間にもさらに借金を増やすという結果になる。法科大学院時代の学費,生活費などある程度経済的に余裕がないと法曹を目指すことが難しくなってきたといえる。経済的に恵まれた人だけが法曹になるか,あるいは法曹になるまでに多額の借金を抱えてその借金を返済するために,金に使われて働く弁護士となってしまうか,法曹の質に変化が生じかねないことが起きているのである。

一方,弁護士過疎地と言われているところはまだある。裁判が長期化している原因に裁判官不足が言われている。検察官も慢性的に不足している。弁護士食えない論を興味本位で語るのではなく,いま,まさに日本の司法のあり方,法曹の理念が問われていることを認識すべきである。

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