25年前の日航機墜落事故

2010年8月12日

明日は,日航機墜落事故から25年目の日を迎える。そのことに関連したニュースが流れていた。遺族が日航の社員とともに墜落現場に登って,その時の惨状を語り継ぐ様子が報道されていた。この事故で突然に失った我が子の命の意義を,航空機の安全が確保されるように語り継いでいくことに見出し,そのことを実践している人の話である。あの事故を,航空機の安全に携わる人が片時も忘れることなく,日々の仕事をしていくことは安全に大きな力となるだろう。人のすることには過失は不可避である。その不可避な過失を最小限にすることは,常に過失が起こす結果を意識しておかなければならない。過失があることが前提の安全装置が働いてなければならない。今担当している産廃建設問題でも業者側は,危険性の存在を認めながらも,万全を尽くしてするから危険はないという論法で反論してくる。人の「万全」に期待しなければならない危険性があることをしっかりと認識しなければならない思う。

この事故のことが思い出される毎に25年前のことが思い浮かべられる。子どもたちが小さく,夏休みの時期で,夏は家族旅行を企画していた。この年は,夜に高松港から船に乗って別府にでかけた。夜の移動で,日程を最小限に節約でき,しかも船という日頃みることのできない交通機関を体験できることから計画したものであった。
仕事が終わってからでかけられ,帰りには早朝に着くのでこれまた少し遅れ気味に仕事にでかけられた。この事故は,帰りの便の船に乗船したところで,乗客を乗せた日航機が不明となったとのテレビのニュースが流れていたのである。今は,8月といっても何の行事もなく過ぎていく日常に過ぎないが,悲惨な事故を知ったあのころの子どもたちの仕草,一つ一つが思いおこされるのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Links

Calendar

  • 2024年3月
    « 5月    
     123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    25262728293031