義士祭

2010年12月15日

午後1時頃に新橋に着き,歩いて霞ヶ関の日弁連会館に向かっていた。突然に赤穂浪士の仮装をした一団が行列を作って歩いているのにであった。そうだ,きょうは12月14日で討ち入りの日だったのだ。時計で日付を確認したが,調整ができてなく時計の方は13日の表示であった。時計の方を調整して,改めて14日であることを確認した。勝ちどきをあげる泉岳寺に向かって歩いていたに違いない。

その後方を歩きながら,ふとこれが,現代で裁判員裁判で裁かれるとどうなるであろうかととんでもない想像をしていた。用意周到で計画的で,確信的に殺意を持っていて,相手の抵抗できない状況を知りながら,一方的に深夜になだれ込んだもので,残忍きわまりない。反省のひとかけらもなく,どのような理由があってもこうした殺人行為は赦されるべきではなく,被害者側との示談もできてなく,その被害感情は強いのであって,極刑は免れないのであろうか。いやいや,この場合は,仇討ちという崇高な目的のために,艱難辛苦を乗り越えて自らの死を覚悟しての行為は讃えられるべき行為であって,たとえこれが殺人罪に該当するとしても極刑は避けるとの結論が導かれるだろうか。果たして,当時の市民の感覚はどう捉えたのだろうか。しかし,権力者にとってはやっかいな事件であったことだけは間違いなさそうである。

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