どうしても信じたい心理

2011年1月28日

未公開株をめぐる損害賠償請求事件の期日があった。被告を特定する段階から苦労があった事件である。被告らの共謀関係を,立証していくにもなかなか工夫のいるところである。この事件,勝訴したとしても,確実に執行することが出来るか否か問題が残る。悲惨な被害であるが,真に被害回復できるか否か,不確実な要素があまりにも多い。こうした事実をあらかじめ説明しながら受任することになる。

この事件の準備をしていると新しく未公開株の被害事例について相談があった。裁判になっている事例も今回の相談案件も被害者は私が前から知っていた人である。冷静な時であれば,二人とも他人にそのことのおかしさ,詐欺商法であると忠告をするであろうと思われる立場にいる人である。そんな人が被害にあったこと自体,私にはすぐには信じられなかった。しかも,この2件についてそれぞれの奥さんから電話があった。双方とも同じ内容の相談である。どうも,大変な被害にあったにも関わらず騙されたとは思いたくないようである。訴訟になっている方は,回収の困難さを説明していたことからだと思われるが,こんな状況のときに言葉巧みに手を変えてさらに接触してきている勧誘を受けようとしていたのである。さらなる2次,3次被害にあおうとしていたのだ。それを,必死で妻の立場で止めようとしていたのである。新たな相談案件についても,本件は悪質な詐欺案件であることを説明しても,私の説明よりも接触してきた業者の説明を理あるものとして,さらなる被害に遭おうとしているのである。話している間にもときおり目に涙を浮かべてなんとかしたいという気持ちを見せるが,すぐにいやこのまま信じて投資を続けるという姿勢に変わるのである。傍らで,その態度を必死で止めようとする妻が説得していた。いずれも,おそらく騙されて被害にあっていることには気づいているはずである。被害のあまりにも大きさに,逆にその事実を信じたくなく,被害にあっていないと信じたい心理なのではないかと思われた。当面,その方が心理的には楽になるのだ。

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