採点

2006年7月30日

火曜日に岡山法科大学院で担当している消費者法の試験をした。次の講義の日には講評しなければならないので今日はこの試験の採点の作業をした。まだ学生の顔と名前は一致していないのだが、回答用紙をみながらどの人だったろうかと顔を思い浮かべながら採点をした。彼らがどんな法曹になっていくのだろうかとその回答をみながらこれからの司法に対して予測のつかない不安がよぎった。rnrn私たちのころの司法試験は約500名の年間の合格者で受験者は2万人から25000人であった。今では1500人の合格者であるが、来年からは年間3000人の合格者がでることになる。そして、法科大学院の卒業生からの合格者がそのほとんどを占めることにことになる。今年の春、初めての卒業生が新らしい司法試験に挑戦していて9月には合否が発表になる。rnrn旧司法試験は、法科大学院に行く必要はなかった。しかし、合格のためには少なくとも2年間は集中した猛勉強を必要とした。10年近くも受験を続ける人も珍しくはなかった。法科大学院に行く必要はなく、さまざまな経歴の人が受験し、ある意味とても平等な試験であったといえる。これからは、大学を卒業してさらに法科大学院にいかなければならない。法科大学院を卒業すれば70パーセントの合格率という制度設計であったが、どうやら40パーセントぐらいにしかならない厳しい現実があるようである。法科大学院で幅広く学び、受験勉強に忙殺されない人間性豊かな法曹を大量に育てることを目的として新司法試験が構想された。rnrnしかし、新しい制度で、人権を擁護し社会正義を実現しようという意欲に燃えた法曹がいままで以上に育っていくのかどうか疑問である。単なる企業にとって都合の良いビジネスローヤーをたくさん養成するだけではないかと思われる。司法制度改革に政府部内で大きな影響力を持っていたオリックス社長の宮内氏の考えがそのとおりであった。この司法の理念が欠けては司法の発展はないのではないかと思う。幅広い人間性豊かな人材を育てるというが、合格率が当初の予定を大幅に下回れば、各大学は生き残りをかけて合格率を競うようになり、結局は法科大学院も司法試験のための予備校でしかなくなるおそれがある。そうすると学生たちは司法試験の直接の科目とならない選択科目はいい加減に対応することになり、指導する側も司法試験科目中心の授業にせざるえない。私の担当の科目は、司法試験科目にはいっていない。しかも、主要科目においてもレベルが従前の司法試験受験者よりも明らかに下がっているというもっぱらの評価だから、なにがための法科大学院かと疑問をもってしまう。教育のあり方にジレンマを感じてしまう。rnrnしかし、懸命に勉強に励んでいる学生たちに責任はない。採点をしながら思い浮かべることのできた学生たちが、社会的弱者である消費者の目を忘れずにそれぞれの道に進んで欲しいと考えた。

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