土壌汚染裁判に判決

2011年6月2日

昨日は、20年以上前に造成されて、販売され、油分などによる土壌汚染が6年ほど前に発覚した事件の損害賠償請求事件に関して判決があった。民事事件の判決は、通常はわざわざ法廷までいって聞きにいくことはない。勝手に裁判所で判決の主文だけを言い渡して、後に判決書をとりにいくのである。この日は、原告とともに判決の期日に出頭した。当事者席には原告ら3名と私が着席したままで、被告席は誰もいなかった。約50席ほどある傍聴席は埋め尽くされていた。この判決の持つ意味の大きさを物語っていた。

裁判官3名が入ってきて着席。判決の一瞬である。「被告は、、、、」で始まるか「原告の、、、、」で始まるかでまずは勝訴か否かがわかる。敗訴のときは「原告らの請求を棄却する」であるが、勝訴のときは「被告は原告に対して金○○円を支払え」となるので、「被告」で始まれば、まずは勝訴であると言えるのである。裁判長の言葉は「主文、1項」と始まり、続いて「被告」との発声が耳に入った。ほっと肩の荷がおり、次は金額がいくらかと集中する。いくらかの算定方法による金額を想定して、当方の損害をきちんと評価してもらたかどうかの基準をあらかじめ考えていた。言い渡された金額によると不動産価格を基準とした金額を損失として評価しているとしか思えない金額であった。わずか判決が言い渡しが始まって数秒のことであるが、こうしたことが判決を聞いている間に頭をよぎるのである。まさに緊張の一瞬である。

よく依頼者から聞かれるが、どんな事件でも判決の結果を確信をもって臨めることはことはない。いつも不安である。今回の事件のように社会的意味のある判決になるとよけいプレッシャーがかかる。緊張の一瞬であった。その後の記者会見などを終えて、依頼者と簡単な食事会をした。緊張がいっきょにほぐれた。そんなことがあり、昨夜は帰宅が深夜となった。睡眠時間もわずかとなり、眠い一日であった。しかし、嬉しいことに、2年ほど続いていた遺産分割事件が、お昼休みにまで食い込むまで調整して、調停が成立し、解決した。昨日から緊張がほぐれていたところに、つぎの充実感を味わえることができた。

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