節電

2011年7月21日

原発事故によって、多くの原発施設が稼働を停止したままとなっている。これを補う火力発電所の不具合もあり、なかなか発電事情は苦しいようだ。だから、○○パーセントの節電が必要だとか、いや原発に頼らなくても十分にやっていける発電能力があるとかのような議論もなされている。私は、特に無駄につかってはいないとは思いながらもその節電にはあまり協力はできていない。

しかし、このような議論の仕方は本質を見誤っていると思う。地球環境が維持できないほどに、エネルギーが使用されてきている。オゾンホールができているとか、温暖化が進んで異常気象となっているとか、それらの原因が過剰なエネルギー消費が原因となっているのではないかとの指摘がかつて大きく取り上げられてきていたこともあった。エアコンをかけて、閉じ込められたその空間で過ごさなければ生きていけなくなっていることこそ問題である。既に人は、自然環境のなかで生存できない兆候を示しているのである。

今回の原発事故は、つごつぎと無限大にエネルギーを使い続けようとしたそのことに警告を与えたものだ。再生可能な自然エネルギーへの切り替えによって、必要な電力がまかなえるか否かではなく、まかなえる電力によって生活していくことしかできないのだということである。家電販売店に展示された多くのテレビのすべてに電源が通されて映像が映っていることを異常であると感じるようにならなければならない。炎天下のなかでウンウンとうなっている自動販売機があれほどまでに必要なのかどうか、その中で売られているアルミ缶、ペットボトルは1回限りで使用済みである。昼間のように輝く夜はほんとうに必要なのだろうか。ヨーロッパの夜の街の暖かみをいまでは懐かしく感じるような生活になってしまっている。

問われているのは、節電ではなく、エネルギーの消費のありかたなのではないか。

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