2006年12月30日

今年を象徴する漢字は「命」だ。今日も1年を振り返っての番組があちこちのチャンネルで1年を振り返えるニュース番組が流されていた。いじめによる自殺、酒酔い運転による交通事故、欠陥商品による人身事故、親が子を、子が親を殺す事件、死刑判決と死刑執行、、、確かに「命」が日常的に話題となった1年であった。rnrn今日は、フセインに死刑執行がなされたとの報道がなされていた。死刑が確定したから死刑執行がなされたのであるから当然であるといえば当然である。しかし、この裁判自体、極めて政治的な手続きのなかで死刑が宣告され執行された。虐殺があったという感情論とアメリカのテロ対策が成功したとの政治的意味を持たせる今回の死刑執行が、命の尊厳の気持ちを損なうことはならないだろうか。日本にも世界では数少なくなった死刑制度がある。死刑が確定してまだ執行されていない人が20人ぐらいいるとのことであり、最近4名の死刑執行がなされたようだ。死刑にどんな意味があるのだろうか。この死刑執行によって、殺人事件は減るのだろうか。殺されたのだから殺した犯人は死刑にしろという犯罪被害者の声を正義のようにとりあげる。死刑制度の存在は、最近の「命」の軽さとどこかでつながっているように私は思っている。

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