光市母子殺人事件に死刑

2008年4月23日

光市母子殺人事件に最高裁から差し戻された広島高裁で死刑判決がなされた。このニュースは,実況中継などもなされながら,一日中,報道されていたようだ。

死刑というニュースを聞いて,判決が特におかしいと思うことはなかった。最高裁からの差し戻し審であることを考えれば,当然予想できた内容である。しかし,死刑でよかったという気持ちにもなれない。国家が合法的に殺人をすることになる,その気持ちの悪さを感じる。被害者の残された家族も,死刑判決を万歳をして喜んでいるわけでもない。おそらく,日本に死刑制度がなく,その場合の最高刑が言い渡されれば,それでも納得されたのではないだろうか。

この残された被害者の家族のには,家族が2人も残虐な殺され方をして,その怒りと悲しみは,測りがたいものがあったと思う。それ故,刑事裁判にも積極的に関われていた。そして,今日の判決を聞いた時の感想をインタビューで応えていた。刑事裁判とは何か,死刑とは何か,司法の役割とは何か,いずれも自分の身にふりかかった問題を真正面から受け止め,考えてきたものだ。事件当初のころの態度や発言とは違った深みのある思索の後を感じさせた。

弁護団は,激しい世論の非難と妨害にされされながら,被告人の立場から,事件にスポットをあて,事件の本質に迫ろうとしていた。多くの人が,死刑が当然と思われる事件について,死刑にすべきでないという弁護活動が許されないという論調は許されてはならない。感情的に弁護人の役割を一方的に非難して,担当弁護人に懲戒申立を集団的にさせたマスコミの報道のありかたにも,改めて検証すべきである。「死刑」とても,かけがえのない命を強制的に奪うのである。あらゆる角度から,慎重にその是非が検討される機会を奪ってはならない。

今年,司法研修所を卒業して35年となる。記念の同期会が夏に箱根で開催される。今回の死刑判決をだした裁判長は,同期の裁判官である。岡山にいたときは,司法修習生とも熱っぽく語る裁判官であった。岡山修習で一緒だった裁判官は,オウムの事件で死刑判決を書いた。研修所時代に席が隣であり,検察官となった人は,最近,集合住宅にビラをまいて住居侵入罪が最高裁で確定したことに,最高検としてコメントを出していた。実務家となって35年を経過して集う同期生であるが,その年月の間にいろいろな事件にであっている。一つ一つの事件で,いつも生き方を試されている。そんな歴史を抱えて,箱根に集う。今から楽しみにしている。

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