被害者参加は事実誤認の原因?

2008年5月18日

今日と明日は神戸大学のお世話で,神戸国際会議場で刑法学会が開催されている。今日の午後にあった共同研究分科会2「裁判員制度実施に向けた課題と展望」に参加してきた。法科大学院には実務家がたくさんはいっていて,テーマも実務家の経験を離れては論じ得ない内容であったことから,弁護士,検察官,裁判官の経験を持つ会員も多く参加していて,まさに学者と実務家との共同の研究会であったといってよい。初めて刑法学会に参加した25年ほど前は,初日の研究発表は,傍聴者側の席中央に学会の重鎮の方が座られ,その前で若手の学者の発表がなされ,それに対して厳しく質問がなされるといった光景であり,学会もずいぶんと封建的な世界だなと思ったものだ。

興味深かったのは、心理学者である北海道大学仲真紀子さんが,「裁判員制度:法と心理学からの寄与」と題しての研究である。被害者が法廷にでて意見陳述することができるようになったが,そのことが事実認定,量刑にどのように影響を及ぼすかを実験しているのである。法廷に遺影を持ち込み,被害者の家族の手紙を法廷で読み上げた場合,遺影の持ち込みと手紙の朗読の影響を調べているのである。その結果は,遺影の持ち込みは,有罪認定の方向に傾いていること,手紙の朗読はそれほど影響をしない結果がでていた。さらにそのように,現実には影響された行動に出ているにも関わらず,本人は影響されていないと思っている。つまり,認識なく無意識のうちに影響されているといえるのである。ところが,二つの出来事は,量刑判断には影響されず,冷静に判断されている結果がでたとのことである。この研究は,被害者からの訴えが,事実誤認の方向に働く可能性を指摘していた。

裁判員裁判でなくても必要ではあるが,一般の方が参加する裁判員裁判においては、人の心の動かされやすい仕組みを知り,冷静で的確な判断を妨げる要素を,こうした心理学からのアプローチの成果も取り入れ,法廷から可能な限り排除して行く工夫がよりいっそう必要だと思われた。また,事件のストーリー(検察官、弁護人がそれぞれ事件の流れと争点を説明する)を語るときその人となりについての主張部分が、その後の事実認定に大きな影響を及ぼすことになるようである。「人は見た目」が大切なのである。その意味では,弁護人としても,裁判員を説得する第一には、まずは見た目を大切にしなければならない。裁判員裁判になるとこうした,市民としての動かされやすい心の仕組みも十分に研究されなくてはならないと思われる。市民参加により、刑事裁判そのものがダイナミックに変化をきたしていることを感じさせられた。

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