訴訟は元気の素?

2008年7月25日

依頼者は小学校の3学年下の後輩,とはいってもそろそろ還暦を迎えようかという年である。訴訟の相手は小学校の同級生のお母さんで,年の頃は80歳代の後半であろうか。今回は隣地との境界の紛争である。隣地の境界であるから当然お隣さんとの紛争である。この人は既に数十年にわたってなにかと裁判を起こしている人である。普通に生活しているときはそれなりに普通の人である。しかし,訴訟となると,いつも理不尽と思える組み立てをしてくる人である。こんな人のお隣になった人は本当に迷惑である。

今日は,この事件について,その相手方本人の尋問をして,審理を終結した。どう転がってもこの裁判は当方が負けることはない。相手方は,いくつもの裁判を経験して,おそらく負け続けているだろうと思われる。しかし,元気である。健康を害していると言いながら,どうして,元気なのである。訴訟がストレスの発散場所なのであろうか。訴訟活動そのものが何か生きるエネルギーの源になっているのだろうか。同年代の人よりも絶対若く見える。周りをを巻き込みながら,こんな形で元気になってもらっても困り者である。こんな迷惑な元気な人を裁判所の近くで何人かみてきた。

もしかすると,訴訟というのは人を元気にさせる要素を持っているのかもしれない。弁護士という仕事も常に他人の紛争でストレスを貯めながら仕事をしている。弁護士になりたてのころは,訴訟のことで夜中に目が覚めて眠れなかったり,夢でうなされて突然起きてしまうなどのことも経験した。しかし,意外と弁護士は長生きをしている。訴訟を元気の源にしている迷惑な人がいるように,弁護士も訴訟がもしかして元気の源になっているのかもしれない。ストレスのある仕事でありながら,その仕事においては誰からも命令されることなく,独立して自分の判断と責任で仕事をすることができることが,逆にストレスを感じさせなくしているのかもしれないと思う。

夕方,友人からの突然の電話,その友人の娘さんの結婚式にも出席したのだが,その娘さんが離婚することになったとの相談であった。人の出会いはほんとうにむつかしい。一生を共にできる人と出会えるというのはレアなケースとなりつつある。

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