知人の死,,,,

2008年9月23日

日曜日の午前中は,今日が提出期限となっていた書面の作成を終えた。頭の中では,主張の枠組みは既にまとまっていたのではあるが,期限ぎりぎりまで手がつかないものだ。いったん書き始めると,そんなに時間はかからない。その後、幾つかの連絡文書を作成したりした。午後からは,先週の金曜日に逮捕された被疑者の接見にでかけたところ,勾留請求のために検察庁にでかけていて,帰ってくるのは夕刻になるのとのことで接見はできなかった。逮捕されてから48時間は逮捕による身柄拘束があり,その時間内に検察庁に事件を送らなければならない。検察官は,それから24時間以内に勾留請求をしなければ身柄を拘束しておくことはできない。ちょうど,その送検と勾留請求の手続きにはいっていたのだ。接見をあきらめて,午後5時頃に出直すことにした。

この日,午後3時から知人の奥様のお別れ会(教会での葬儀)にでかけた。事業に失敗し,私の事務所で負債整理手続きをした。日頃のつきあいのなかでは一切そのようなことを感じさせなかったその知人ではあった。初めて会社が行き詰まった相談を受けたときは、本当にびっくりした。会計を一手に処理してきていた奥様が、深刻な状況のやりくりを必死の思いでしのいできていたようであった。快活そのものであった奥様は,その日を境に体調を崩し,食事ものどを通らない日々が続き,入院されたりしていた。負債整理手続きが終わった今年の春頃は,普通の生活を取り戻されてきていた。亡くなられたその日も日曜日の礼拝をまもり,バザーの出品作品の制作をしたりされたようであった。その夜の心筋梗塞で突然亡くなられた。最初の倒産の時に抱えた高利の負債をずっと支払いながら会社経営を続けていた。そのやりくりには日々,相当のプレッシャーがあったことと思われる。そのストレスからやっと解放された後のこの死であった。この会で参列者からつぎつぎと故人の思い出が語られたが,どの話も日頃私が接していたとおりの快活そのものの話であった。人には本当に外に出すことのできない苦しみで悩み,内に秘めた苦しみを抱えて生活していることがあるのだと思わされる。負債整理の手続きを担当することで,見るべきではなかったその人の内側を見てしまった思いである。

午後5時ごろ,まだ続くお別れ会から離れて,裁判所の前を留置所に向かっていっていたところ,普段着の裁判官(「探偵ナイトスクープ」の好きな大阪出身の方で,心のなかではいつも大阪のおばちゃんとよんでいる)が歩いていた。きっと,きょうはこの裁判官が令状当番で,これから会う被疑者の勾留質問を担当したに違いなく,勾留の手続きは既に終了したのだと思った。接見すると,やはりこの裁判官の担当であったと被疑者が答えた。完全否認事件である。差し入れた「被疑者ノート」にはしっかりと調べの様子が記録されていた。

そして,月曜日,一日中ぎっしりと相談,法廷の日程であった。あすの祝日開けには,もう一つ提出予定の書面がある。日弁連の委員会で上京の予定でもある。

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