刑事裁判の目的

2009年2月19日

殺人,死体損壊などに問われ,被告人本人が死刑を望み,被害者親族からも被害者参加制度で死刑の意見を述べ,検察官の求刑も死刑であった事件について,無期懲役の判決がなされた。裁判員裁判を見据えての公判で,検察官側はその残虐さをことさらに強調するように映像を法廷で映した。

刑事事件では,まずは犯した犯罪事実が真実かどうかが問われる。そのうえで,量刑で刑が決められる。刑は,その犯罪の動機,態様,本人の反省の有無,被害者との示談の成立などの事情が考慮される。特に死刑判決などでは,被告人の生い立ち,現在の精神状況などが詳細に検討されて死という結果しかありえないかどうかを検討する。そうした制度のなかで,映像によって残虐さを強調し,被害者の「被告人を死刑を」の法廷でのエキセントリックな証言をさせて,裁判官の感情に訴えて死刑判決をさせようとする。裁判員裁判になれば,こうした手法で,憎しみを法廷で増幅させ,被害者側の悲しみと怒りの姿を見せつけることによって,最も重い死刑判決を得ようとする。

どんなに残虐な,見るに耐えないような事件でも,まずその犯罪が本当にその被告人がしたものかどうかは冷静に判断されなければならない。憎しみが大きいが故にゆがめられた事実が認定されることがあってはならない。被害者が「死刑を」という事実が,被告人を死刑にすることに直接結びつくのだろうか。結びつくのはおかしいし,刑事法廷にとってなんともなじまない制度である。相撲部屋でおきたリンチ事件に関して,親方がリンチを指示したという検察官の主張を否認したところ,これに対して被害者の父親は怒りを露わにして事実を認めないのは許せない旨の発言があった。被害者の父親にしてみればその感情はもっともである。しかし,刑事裁判においては,否認していれば本当に指示の事実があったのか否か,合理的疑いを容れない程度に検察官が立証しなければならないのである。被害者の憎しみによって事実が変わってはならない。

各地で行われている裁判員裁判の模擬裁判の結果をみるかぎり,裁判員はかなり冷静に判断していて,感情に訴えようとする検察官の立証は効を奏していないようである。かえって感情に流されまいと自制する感情が働いているのかもしれない。裁判員裁判は,むしろこうした感情に流されやすい要素をできるかぎり排除する方策が考えられなければならないのではないかと思う。きっと,法律家が考えている以上に,市民の方が冷静に見つめているのかもしれない。

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