麻原死刑確定

2006年9月16日

オウム真理教の麻原の死刑が確定した。多くの見方は死刑が確定して当然であり、訴訟能力ないとして弁護活動を続けてきていた弁護団を激しく非難している。rnrn事件の残忍さ、その被害の深刻さ何をとっても極刑しかありえない犯罪であることは疑いない。しかし、人が人でなくなっているような精神状況のなかでは裁判は進められないし、刑の執行もできない。とにかくひどい男だから早く死刑にしてしまえというのであれば、実態は国家による殺人そのものである。訴訟能力があるか否かは慎重に検討されたか。このことを裁判官が簡単に判断できるのであろうか。わたしはこの点について慎重にまず審理されるべきであったと思う。判決の意味も理解できず、刑が自ら犯した罪の償いとして課されると言う認識もなく死刑が執行されて何の意味があるというのだろうか。この件はそうした可能性を残したまま、死刑が確定した。弁護人は死刑は憲法違反であると信念を持っている弁護士である。死刑は廃止されるべきであるとの考えをもって、その見解にたって懸命に弁護活動をしているのである。弁護活動のあり方を非難されるのは覚悟のうえである。しかし、こうした弁護活動も許される司法でなければならない。どのような場合においても弁護士として独立した職務遂行が許されることが保障される社会でなければ、権力に都合の悪い弁護活動の自由そのものに制約を許す結果になりかねない。弁護活動の批判はいいが、国家による制約に結びつかないように気をつける必要がある。その意味で10月から国選弁護が、法務省の監督下にある「法テラス」で行われるようになった後のことが気がかりである。もちろん弁護士が職務を担当するのであるが、あらかじめ「法テラス」と契約した弁護士が行う。そしてその契約内容に一定の弁護活動が制約できる可能性を残した条項が含まれている。実質的な監督が及ばないように独立した弁護活動が制度的にも確立されるよう弁護士会側とまだまだ協議が続いているのが実態である。rnrnオウムの広報部長であった上祐が、アーレフの代表として麻原の死刑確定に関してインタビューに応えていた。当時のオウムの実態はよく知っていたはずである。たまたま実行行為に関与したことの証拠がないので起訴を免れていた人物である。このオウムのことを他人事のように考えて欲しくない。多くの人の命を奪った責任は彼にもある。1989年11月1日、上祐は私の前で「おれは優秀だ。優秀なおれが洗脳なんかされるはずはない」と言い切って、11月4日の未明あの凶行に走ったのである。危険な思想をもったまま、危険な団体がなお存続している事実をしっかりと認識しておく必要がある。

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